季節の木

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2019年5月31日 (金)

読んだ本の紹介 馳 星周著『ソウルメイト 』(集英社文庫 2015年)

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2019年10月読書会の課題図書ですが、一気に読んでしまいました。7つの短編集で、全てに犬のタイトルがつけられています。「柴」は東日本大震災時の福島県が物語の舞台になっており、本の中で最も感動的な物語であると思います。表紙の写真は著者が飼っていたバーニーズマウンテンドックであり、短篇の中にも登場しています。どの物語も犬に対する愛情が溢れる内容になっています。犬が好きでない方でも、この本を読んでみたら、犬の見方が変わるかもしれません。

2019年5月28日 (火)

2019年5月26日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「礼拝心改革」

説教テキスト:エズラ記91節~15

 

初めに

ドッグスクールポチパパの動画を観て、犬についての理解を深めている。ポチパパは、問題行動の犬を専門にドッグトレーニングする仕事をしている。ポチパパの教えを実行してみて、自分の犬の行動が良く改善されたことを体験している。犬の問題行動の対処で大切な事は、その時の対処ではない。普段からの主従関係と信頼関係が大切であり、また普段から犬が置かれている場所でストレスを持たないようにさせることが大切。普段の事ができていれば、犬の問題行動は無くなる。これは私たちの信仰生活にも当てはまる。普段の生活の中でどんな信仰生活を送っているかという事が、主日礼拝の中に表わされていく。エズラは神殿礼拝を改革するのではなく、民の生活を改革するために、祈りと行動を起こしていく。

 

  • 民は神礼拝をしていると思っていた。

エズラと彼の同胞たちはエルサレムに帰ってきた。彼らは、アハワ川の畔で予め捧げた献金をエルサレム神殿の祭司に捧げ、燔祭を捧げた。彼は、さあこれからビジョンを実現しようとした時、そのビジョンを台無しにする報告がもたらされた。それは同胞たちが異邦人と結婚をしたことである。これは個人の好みの問題だけではなく、当時のユダヤ人たちが置かれた状況が大きく関係している。ユダヤ人たちは遠く離れたペルシャからはるばるエルサレムにやってきた。エルサレムには既に異邦人たちが住んでいた。その中で彼らは自分たちの共同体を一から作っていかなければいけなかった。経済的にはそれほど恵まれたれた者たちではなかった。しかし現地の住んでいる異邦人たちの共同体は既に出来上がっており、経済的にはある程度安定した生活を送っていた者たち。ユダヤ人は持たざる者、異邦人たちは持てる者。持たざる者たちが生きるためには、持てる者と関係を結び、彼らに服従するしか道はない。最も手っ取り早い方法が結婚であった。

ソロモンの時代にも同じことが起こっていた。異邦人たちが持てるユダ王国と外交関係・婚姻関係を結んで、持ちつ持たれつで生きてきた。しかしそのつけが礼拝の中で表されていった。エルサレムの神殿で神を礼拝しつつ、高き所では結婚した異邦人が信じている神々に香を焚いていた。その結果、ユダ王国はバビロンに滅ぼされてしまった。(列王記上1128) 同様に、エルサレムに帰還した民たちも、神の言葉を捨てた結婚生活をしながら、エルサレム神殿で神を礼拝していた。

 

  • エズラは礼拝心を失った民のために祈った。

エズラはエルサレムのユダヤ人の礼拝生活の現実を見た時に、驚きあきれ座り込んでしまった。彼がそんな状態に陥ったのには理由があった。それは神が自分たち民族に与えてくださった約束を受け取っていたからであり、また自分たちが神の約束に基づく悲惨な歴史を体験したからである。

神が自分たち民族に与えてくださった約束とは、(91112)の言葉である。(出エジプト341016)をみると、イスラエルの民が異邦人と結婚していけない理由が書かれている。それは異邦人がイスラエルの民を神々の礼拝に招き、民が神々を礼拝するようになるから。その結果、民が真の神を礼拝することができなくなるから。

神の約束に基づく悲惨な歴史とは、自分たちの先祖が礼拝生活を捨て、捕囚の民として生きてきたことである。そして神の憐れみによって、神を礼拝する民としてエルサレムに帰還することができたことである。

この2つの現実の中をエズラと同胞たちは生きてきた。しかし、民がこのまま異邦の民と婚姻関係を結んでいくならば、神の御計画は頓挫し、先祖たちと同じ道を辿ることになる。だから彼は驚きあきれ座り込んでしまい、神にとりなしの祈りを捧げた。

 

終わりに

「礼拝心改革」についてみてきた。今朝の御言葉から勧めをする。結婚の最大の目的は2人が一体となって神を礼拝すること。聖書では、結婚生活の中でなすべき様々なことが書かれており、それがそのまま神を礼拝することある。神の御言葉を変化に富んだ私たちの生活の中で適用させていくこと。神が嫌っている即効性のある方法論に飛びつかないこと。それが礼拝。そのような礼拝生活をする者が主日礼拝で大胆に神の前に立つことができる。

結婚で問題となってくることが、自分と相手が何を神としており、何の神に従って生きているのか。結婚は相手の自分が受け入れること。神とは相手の価値観と言い換えても良い。

イエスは2人の主人(主人とは真の神と世の神々)に仕えることはできないと言われた。ソロモンは真の神を信じていたが、妻たちが信じていた神々に仕えるようになった。その結果彼と彼の国は真の神を捨て去った。つまり2人の主人に仕えようとする時に、2人の主人に仕えることができなくなるのではなく、悪い主人(神々)の方に仕えるようになる。悪貨は良貨を駆逐することが起こってくる。

もう一度言うが、結婚の最大の目的は生活の中で神を礼拝することであり、その礼拝心を持って主日礼拝をすることである。その信仰に立ってパートナーを選んでいくこと。バートナーが信仰を持っていないならば、信仰を持ってから結婚することをお勧めする。信仰を持っていない時に、結婚したパートナーに関しては離婚してはいけないと聖書に書かれている。相手の神々に飲み込まれずに、自分の信じる神を信じてもらうためには、エズラの様に自分のビジョン(神の言葉)を告白し、ビジョンに従って生き、とりなすことである。

 

2019年5月19日 (日)

2019 ピクニック礼拝

本日の礼拝はピクニック礼拝でした。場所は例年通りのUFOの里。天候にも恵まれて、祝福された礼拝を行う事が出来ました。H姉による3B体操で参加者が無理なく体を動かすことができました。ユースメンバーによる福音紙芝居とO姉による御言葉も勧めに心燃やされました。昼食は各自が持参したものを分け合って食べることができました。

 

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母の日記念礼拝

5月12日(日)の礼拝は母の日を記念する礼拝でした。礼拝の中で、お母さんの祝福のために祈り、プレゼントをお渡しすることができました。お母様方の祈りによって教会は祝福されています。

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2019年5月17日 (金)

読んだ本の紹介 アンドレ・ジッド著『田園交響楽』(新潮文庫 平成3年)

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 よっぽどのことがない限り、本は再読はしない。この本は読んでいる途中に思い出した。大学生の時に一度読んだ記憶があるが、その当時はあまり心に残ることはなかった。しかし今回は違った。心に残ったかというと、それも違う。心にしこりを残すイメージだ。

 身寄りが無くなった盲目のジェルトリュードは牧師に拾われて、彼の家庭で成長していく。その中で牧師が彼女に好意を寄せていき、彼女も彼の好意に応えるようになる。牧師の息子のジャックが彼女に近づこうとするが、父親によって二人の仲は引き裂かれてしまう。その後彼女は目の手術をして目が見えるようになった。手術の際の入院の時に、彼女はジャックの導きによってキリスト教に改心する。ジャックは彼女との恋を離れ、牧師の道を歩むことを決意する。

 父親の牧師は、目が見えるようになった彼女が自分をどんな表情で見るのか(自分の愛に応えてくるのか)を知りたくてたまらない。しかし彼女が見ることができたのは、牧師の妻であるアメリーの悲しげな顔であったのだ。それは夫が他の女性に心を奪われたこと悲しんでいるのを見たのであった。彼女は牧師との恋愛は神の御心ではないと諦める。彼女を失った牧師はその後どう生きたらよいか分からなくなってしまう。

 ジッドは、熟練の聖職者である牧師が道ならぬ恋に走る姿と、過ち多き若い者(ジャックとジェルトリュード)が神の道を歩む姿を対比させて、人間が持つ矛盾を訴えたいのではないだろうか。著者の本には聖書からとられたタイトルの本がいくつかあります。

2019年5月16日 (木)

2019年5月12日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「礼拝のための礼拝心」

説教テキスト:エズラ記81節~36

 

初めに

10連休はいかが過ごされたか? 連休後のネットのニュースで、(10連休トラブル集、殺意・離婚危機や「BBQ最悪」の声も)とタイトルの記事を見て、驚かされた。大げさなタイトルだなと思いつつ、記事を読んでみると、タイトルに頷ける内容であった。私の10連休中のビックイベントは、山形県鶴岡市にある藤沢周平記念館に行ったこと。藤沢周平は私が最も好きな作家の1人。記念館の展示物の中で、今まで知ることができなかった彼の一面を窺い知ることできた。その1つが、彼が肺結核になった時の療養生活体験。彼は肺結核のために、中学の教師を2年で辞めることになった。療養生活の中で、彼は俳句に関心を持ち、今まで読んだことがない本と出会い、今まで学ぶことができなかった人間関係を学んだ。療養生活は最も良い大学であった、というのだ。もし彼が結核にならばければ、彼は作家の道を歩むことはなかったかもしれない。

人間の心というものはなかなか変わらない。しかし辛い体験を通ることによって、変えられる場合がある。イスラエルの民もバビロン捕囚という辛い体験を通して、神の民としてのアイデンティティを確立していく。

 

  • 神殿奉仕者を再徴収

7章では、ユダヤ人をエルサレムに帰還することを許す王の親書が紹介されていた。その親書を持ってエズラとユダヤ人たちはエルサレムに帰還しようとしている。エルサレムには落成式を終えた神殿が待っている。エズラ2章での帰還したユダヤ人の数は約42,000人。8章での帰還者数は約1500人。彼らはペルシャに近いアハワ川の畔に集合した。ところがその中に、祭司とレビ人がいなかった。エズラは彼らにも事前に集合をかけていたはず。しかし蓋を開けてみたら、彼らがそこに来ていなかった。彼らが集まらなかった理由は、リスクを犯して見ず知らずの土地に行くよりも、安定した生活が保障されているペルシャに留まるほうがよかったかもしれない。

7章に書かれている王の親書の内容な、エズラが王に普段から証ししていた内容を基に作成された。(7:2526)の内容は、彼が今までペルシャでやってきたことであり、エルサムで行うビジョンである。つまり祭司とレビを訓練し、人々に神の律法を教え、彼らが人々を裁くこと。エズラは、民が神の民として礼拝生活をすることを願っていた。そのビジョンを担う祭司とレビ人が集合場所にいなかった。そこで彼は再招集をかけた。神は彼の再招集を助けられたので、238名のもの祭司とレビ人が集まってきた。

 

  • 礼拝のための断食

アハワ側に集まるべき人たちが集まった。普通ならば、すぐに目的地を目指して出発であるが、そうでなかった。断食をした後に出かけるというのだ。エズラが民に断食を求めた理由は何か。すぐに分かる理由は、旅の道中で家財が守られるため。しかしそれは2次的な理由。直接的な理由は、エズラが王に証していた言葉。「われわれの神の手は、神を求めるすべての者の上にやさしく下り、その威力と怒りとはすべて神を捨てる者の上に下る」。何故これが断食なのか。彼の証は、神がどのような方かを証している。また自分たちのアイデンティティを証ししている。つまり、自分たちが神を求める時に、自分たちは神に守られるというアイデンティティ(身分)を持っていた。また自分たちの先祖たちは、神を捨てたので、神の威力と怒りを受けて捕囚の民とされたというアイデンティティ(身分)を持っていた。

その御言葉をエルサレムに帰還する自分たちに適用させた。自分たちが神を求めて、神の手によって自分たちを守って頂こうという行動に出た。神の手に守って頂くので、王の保護は必要としないという選択をした。エズラは神を求めるということを断食によって表現した。王に謁見できる彼の立場ならば、王に護衛を願うことはたやすいことであったが、しかし彼は神を第一に求めた。

 

  • 礼拝のための捧げ物

8:21)で、エズラは「われわれのすべての貨財のために、正しい道を示されるように神に求めた。」と書かれている。彼は断食後に、神から与えられた答えを実行する。彼は、祭司長12人とレビ人兄弟10人を選び、神殿のための捧げ物(金銀)を彼らに渡した。エルサレム到着後に捧げ物をしてもよかったはずであるが、出発前に献金をしている。この彼らの行動にはどんな思いが込められているのか。エルサレムに出発前に民が捧げ物をしたということは、民は捧げ物を持っている状態で捧げ物をすることができた。また、それは、自分たちが神殿礼拝のために帰還するということの表れでもある。ペルシャからエルサレムに帰る日数はかなりを要する。民は道中で自分の財産を全部使い果たし、エルサレム到着後には捧げるものが何もなくなってしまう可能性もあった。しかし初めに捧げ物を聖別しておくならば、残された財産の中で自分たちの生活をやりくりしていくようになる。そのような捧げ物した彼らのスピリットは、エルサレム到着後にも表わされている。彼らはエルサレム到着後4日後に、捧げられた金銀を現地の祭司に渡し、その後神殿に行き、燔祭を捧げた。

 

終りに

エズラは再建された神殿で、民が神殿礼拝だけをしていれば良いとは考えていなかった。民が普段の生活で神を礼拝する心を持ち、その心を携えて神殿礼拝をすることを願っていた。今朝のテキストから浮かび上がってくることは明らか。私たちの(礼拝)生活は、教会で行う主日礼拝に向かうものでなければならない。主日礼拝と(礼拝)生活は結びついている。

礼拝心を持つための1つの勧めは、祭司として生きること。祭司は自分が礼拝者であると同時に、民のためにとりなし、民を教えていく務めを持っていた。救われた全ての者は祭司であり、神殿奉仕者である。この教会には50名以上の魂が確実に導かれる。その人たちをケアするのは先に救われた祭司である私たちである。何のために人々をケアするのか。それは人々がキリストを体験し、クリスチャンとして自立していくためである。

礼拝心を持つための2つの勧めは、自分の生活の中で主日礼拝のために備えていくこと。御言葉は暗記するだけでは片手落ち。御言葉を生活で適用していくこと。エズラは「われわれの神の手は、神を求めるすべての者の上にやさしく下り、その威力と怒りとはすべて神を捨てる者の上に下る」という御言葉を王に証しして、その御言葉を帰還する自分たちに適用し、神に自分たちの持ち物を守って頂くために断食した。証しというのは相手のためであるのだが、自分が神の民として生きる責任を持つためである。御言葉には私たちが為すべき事が隠されている。それは神を求める者だけに示される。

また捧げ物をすることにおいても、主日礼拝のために備えていくことができる。献金(什一献金と席上献金)は給料から捧げる分を予め取っておくことをお勧めする。そして残ったお金で生活する。そのような備えをしていく中で主日礼拝に臨む時、礼拝が主の臨在に満ち溢れたものとなる。主日礼拝の雰囲気は私たちの(礼拝)生活によって形づくられていく。

2019年5月 1日 (水)

読んだ本の紹介 美達大和著『人生を変える読書』(廣済堂新書 2015年)

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 著者は殺人を犯し服役中の無期懲役囚で、仮釈放も放棄しています。幼い頃からの読書好きであったため、文章から著者の人格がそのまま滲み出ており、読む者に感動を与えてくれます。本の紹介はカテゴリー(社会性を身に着けるために、心の支柱を見つけるために、愛を感じるために、知識を戦力に変えるために、命の尊厳を知るために、心の成長を促すために、子どもに読ませたい本)に分けて紹介されていますので、興味がある本を読んでみると良いかもしれません。私の中では、今まで読んだ本の中でもベスト10に入る良書です。

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