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2019年9月30日 (月)

2019年9月23日(月)オリジナル・キャンプメッセージ 朝の巻

説教タイトル:「弟子の心構え ~イエスの弟子として生きる~」

説教テキスト:ルカ957節~59

 

初めに

イエスはエルサレムに向かう途上で、弟子としての心構えを教えておられる。

 

  • 犠牲が伴う

イエスがエルサレムに向かって進まれていた時に、彼に弟子入りする志願兵がやってきた。イエスが行かれるとこならばどこにでも行くという熱い情熱を持っていた人であった。人手不足の会社ならば、即採用されて即戦力として活躍が期待できる人。しかしイエスは彼に水をさすようなことを言われた。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」 イエスは彼に何を言いたかったのか。イエスは自分が行くところで体験することを言っておられ、そこには自分のための家がないと言っておられる。聖書の別の箇所で(ルカ182930)、『イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」と言われている。つまりイエスについていくためには、大きな犠牲を払う必要があることを言われた。

 

  • 使命が最優先

2番目の人はイエスから弟子として従うように招かれた人。それはとても名誉なこと。しかしその人は「まず、父を葬りに行かせてください」とイエスに言った。その人のお父さんは数日前に亡くなった。その時にイエスは彼に弟子としての招きを与えられた。会社や学校ならば、自分の親が亡くなった時には忌引き休暇を頂くことができる。その時だけは、会社や学校は忌引きを取る人に仕事や勉強(会社で仕事をして、授業に出席して)を求めることをしない。しかしイエスは常識を覆すような事をその人に言われた。「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」 十戒の中には、あなたの父と母を敬えと命じておられるので、イエスは肉親の葬儀をすることを否定しているのではない。イエスはその後の言葉で彼に「出て行って神の国を告げひろめなさい」と命じておられる。神の国を広めるとはイエスのことを証しすることである。イエスはイエスを証しすることはどんな事よりも(たとえ肉親の葬儀よりも)最優先されるべきことであること言っている。イエスの弟子はイエスの使命を果たすことを最優先すべき者である。

 

  • 後ろを振り返らず前進

・ 後の者も志願兵である。志願兵はイエスに、主に従っていくことはできるが家族にさようならを言わせて下さいと願ってきた。それに対してイエスは彼に言われた。「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」 鋤とは畑を耕すスコップのような道具である。鋤とはイエスのことを指している。一度イエスに手をかけた者(イエスの弟子として生きることを決めた者)は後ろを見ないで、前を見てイエスに従っていくのである。家族の者に別れを言うことぐらいは許されるべきだと思う。しかし2番目と3番目の者に共通することは、イエスに従うことよりも大切にしていることがあること。「まず、父を葬りに行かせてください」「まず家の者に別れを言いに行かせてください」 イエスに従って前に進むことが求められているのに、まずそれよりも自分にとって大切であることをやらせて下さいと願っている。まずとは先ずと書き、初めという意味である。それをイエスは後ろを振り返る行為であると言っている。イエスに従うオリエンテーションの時に、先ずイエスの言葉に従うことをしないならば、神の国の現場に出て働く時にも同じことが起こってくる。そのような人は神の国に相応しくない。人は心が向いている方向に進んでいく。後ろを見ているならば後ろに進んでいく。前におられるイエスを向いているならば、前に進んでいく。後ろを見ながら前には進むことは不可能。

 

終わりに

「弟子の心構え」について見てきた。私たちがイエスの弟子として生きるために妨げとなる事柄は自分の家族に関する事柄である。何故ならイエスが、それは家であり、それは父親のお葬式であり、それは家族への挨拶である、と言っているからである。家族それ自体は悪いものではない。家族は神が私たちに与えられたものである。イエスは何を問題とされているのかというと、最優先事項を家や家族とするならば、イエスの弟子として生きることができなくなると言っている。イエスの弟子として生きなければ、私たちは自分の人生の中でイエスを神の子であると体験的に知ることはできなくなる。イエスが神の子なのは聖書の中だけの話になる。神の子イエスは絵にかいた餅になる。

イエスは私たちに無理難題を押し付けておられるのではない。自分の足跡に従って欲しいと願っておられる。イエスは父なる神の御命令を第一とされる生き方をされた。イエスはまこと家である天国を捨てて、この地上に遣わされた。30歳になられた時に生まれ育った家族を捨てて、公に神の国を伝えていかれた。また私たちの罪を背負って十字架にかけられた。私たちの罪が、父なる神とイエスとの親密交わりを引き裂いた。だからイエスは十字架上で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ1534)と叫ばれた。またイエスは三日目に復活されて弟子たちに現れ、天の父のもとに帰られた。イエスが家族を捨て、神を第一とした生き方をなされた事により、神の祝福が私たちに注がれている。イエスが父なる神に従われた様に、私たちもイエスを第一として従うことにより、私たちを通して家族に神の祝福が流れていく。本当の親孝行は私たちがイエスを第一とすることであり、あなたがイエスの弟子として生きること。

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