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2019年9月30日 (月)

2019年9月29日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「エルサレムに住む者たち」

説教テキスト:ネヘミヤ記111節~36

 

初めに

町おこしとは地域の文化や経済を活性化させること。町おこしで用いられるものにゆるきゃらがある。千葉県船橋市のゆるキャラはふなっしー。「梨の妖精」のマスコットキャラクター。このキャラは市が考えたものではなく、ある船橋市民が「個人的に」始めたキャラ。当初は船橋市役所などに売り込んでも受け入れてもらえなかったが、自主的に参加した地域イベントなどの活動、インターネット上の活動で知名度を上げていった。2013年の『アサヒ十六茶』のCM出演を機に一気にブレークした。エルサレムの町おこしはゆるキャラではなく、民がエルサレムに住み、神を礼拝する共同体を築いていくことによってなされていった。

 

  • 決められた通りに住む者たち

初めに、城壁内に住んだ人たちは、民の中で決められた人たちが住んだ。決められた人達とは、ユダとベニヤミンの子孫たち、祭司たち、レビ人たちである。ユダとベニヤミンの子孫たちでエルサレムに住んだ者たちは、民のつかさたち、くじで選ばれた10人の内1人。またユダの民の中からは戦闘能力に長けた者たち468人。この者たちは主に城壁内の警備に就いた。ネヘミヤ4章では、民は敵の攻撃に備えて、片手には仕事道具、もう片方の手には武器をもちながら仕事をした。また民は2交代で24時間見張りを置くようにした。またネヘミヤ6章で敵は敵の将であるネヘミヤを直接暗殺する策略を用いてきた。その敵の攻撃に備えて彼らが城壁内の要所〃に配置された。それは攻撃のためではなく防御のため。

ベニヤミンの人数928人。祭司たち822人とその兄弟たち128人。彼らは神殿内における仕事に携わった人たち。レビ人284人とその兄弟たち172人。レビ人の仕事は祭司の仕事をサポートするため。(11:17)では、マッタニヤという人物が、祈の時に感謝の言葉を唱え始める奉仕に就いていた。以上の者たちは、それぞれのグループで決められた通りにエルサレムに住んだ。適当に振り分けられたのではなく、その基準となったのは、民全体の数に対しての城壁の内外のバランス、神殿内の奉仕の必要などを考慮して人数が配置された。またその目的は、公の礼拝のためであり、生活の中で神の律法を行っていくため。

 

  • 自ら進み出て住む者たち

また民の中には自ら進み出てエルサレムに住むことを申し出た者たちがいた。エズラ記の中で神殿を再建する際に、民は自ら進んで捧げものをなしていった。同様に、民のある者たちは自ら志願してエルサレムに住むことを願い、そのようにしていった。彼らがそう願ったのは、エルサレムの町づくりの土台を担う者となりたいと願ったから。ただの町づくりではない。神を礼拝する共同体の土台作り。公の礼拝に関わる直接的な奉仕は祭司とレビ人が担ったが、警備や行政に関わることは市民が担ったのである。そのリーダーがネヘミヤ。全てが整ったコミニティに引っ越して生活することは楽であるが、何もないコミニティでの暮らしは苦労が伴う。それは津波や放射能問題で機能しなくなった町を1から復興させていくようなもの。町を機能させていくためには、初めに誰かがそこに住み、町を機能させるために働いていく必要がある。それは自分たちのためでもあるが、後から住む者たちや次世代の子どもたちのため。自ら進み出た人たちを見て、その他の民はその人たちを祝福した。祝福したとは、自ら進み出た人たちに感謝し、励ましたということ。それは彼らがエルサレムの町の再建に関心があり、自ら進み出た者たちは自分たちを代表する者という意識を持っていた証拠。自分たちは城壁の外の者であるから、城壁の中に住む人たちとは関係がないのではなく。城壁の外に住んだ者たちは城壁内に住む者たちと同じスピリットを持っていた。

 

終わりに

「エルサレムに住む者たち」を見てきた。エルサレムに住んだ人たちの目的は、共同体で神を礼拝するためであり、個人で礼拝生活をするため。

私たちにとってのエルサレムとはイエス・キリストを信じる群れである教会に所属すること。その目的は主日礼拝と個人生活で神を礼拝すること。生きることそのものが神を礼拝すること。生き方は人それぞれ異なっているが、生きる目的は神を礼拝すること。私たちがこのことのための祈りとアクションを起こしていくこと。私たちはイエスの御業によって世から救われて、神を礼拝する者として教会に植えられた。その事をもう一度受け止めて、それに生きて欲しい。

また私たちが教会に植えられたのは、これから信仰を持つ方々や次世代の者たちが教会に植えられていくためである。先に植えられた者たちがこの教会で良いものを生み出していかないならば、次に教会に植えられていく者たちはそこで礼拝生活ができなくなる。教会は場所も大切であるが、人が大切。先に救われた者たち一人一人が次に植えられていく者たちを受け止めていく存在となっていく。一人の子どもを成長させることができる人が2人を育てることができ、2人育てることができる人が3人を育てることができる。私たちは人を受け止める器を大きくしていくこと。一人一人の器の大きさが教会の大きさを決めていく。あなたが祈っている次世代の者は誰か。あなたは誰を育てていますか。あなたが仕えている人は誰ですか。あなたの言動は次世代の人たちが教会に繋がっていきたいと思わせるものですか。人に仕えることなしに私たちの成長はない。

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