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2019年10月29日 (火)

天祢涼著『希望が死んだ夜に』(文春文庫 2019年)

ツイッターを復活させ、出版関係(新潮、角川、集英社、岩波、文春、創元社、みすず書房、など)のアカウントを全部フォローし、気になる本があれば読むことにしています。その中で出会った本です。貧困問題を背景としたストーリーです。ニュース等で貧困問題が取り上げられていますが、この本を読みますと、その問題に直面した人たちが如何に苦しんでいるのかを知ることができます。小説の中の人物と同じ体験をしている者たちがこの日本に必ずいると思います。表紙のモデルが主人公と重なり、せつない思いにさせられます。

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2019年10月27日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「最後の改革 ~礼拝改革その2~」

説教テキスト:ネヘミヤ記1310節~22

 

初めに

人間が変わる方法は3つしかないと、経営コンサルタントの大前研一氏が言っている。1つ目は時間配分を変えること。2つ目は住む場所を変えること。3つ目は付き合う人を変えること。ネヘミヤの礼拝改革を見てみるとこの3つの事を全て行っていることが分かる。

 

  • 捧げもの分配奉仕者任命

祭司エリアシブがトビヤと縁組をしたことにより、今まで礼拝のために積み上げてきた良きものの積み木崩しが起こっていった。祭司エリアシブはトビヤのために、神殿の近くにある捧げものの部屋をあてがってしまい、捧げものの部屋は無くなってしまった。また神殿奉仕者であるレビ人に捧げ物が捧げられなくなってしまい、レビ人は奉仕を止めて、野良仕事に精を出してしまっていた。さらに民は捧げものをしなくなった。全てはトビヤの流れで事が進んでいた。トビヤと祭司エリアシブの悪行は明らかであったが、他の祭司、レビ人、民は何も手を出すことができずに静観していた。しかしネヘミヤは崩された積み木を元に戻そうと事を起こす。彼は野良仕事をしているレビ人を連れ戻した。すると民は捧げものを神殿の持ってくるようになった。レビ人がいるべきところいるのを見て、民はレビ人を支えるために捧げ物をするようになった。またネヘミヤは、捧げものの部屋を管理する奉仕者を任命した。その奉仕には忠実な者が任命された。彼らは奉仕者であるレビ人に配布することに忠実であった。その奉仕に忠実であったということは、捧げものを管理すること、捧げものを民にさせることにも忠実であったことになる。そうでなければレビ人に捧げ物を配布することに忠実になることはできない。祭司エリアシブとトビヤの悪しき行いの後の奉仕である。任命された奉仕者たちは、そのような悪しき行いに流されることなく奉仕を任されたことになる。

 

  • 安息日聖別

次なる礼拝改革は安息日改革である。安息日に仕事をする者がおり、また安息日に城壁内で商売する者がいた。その結果、民のライフスタイルは、6日間働き7日目に安息日するものではなく、月月・火・水・木・金金・になってしまっていた。民は、神が与えて下さった祝福に満ちたライフスタイルよりも、自分の日常生活を豊かにする方を選んでしまった。安息日を汚している者たちは狭い視野しか持っていない。自分の生活しか考えることができない。神から離れて罪を犯す者は大きな神の御計画を生きるのではなく、本当に小さな自分の世界の中で生きている。ネヘミヤは彼らを責めて、民が辿りつく終着駅を教えている。民のたどり着く先は、神の怒りと災いで町が滅ぶことである。民は安息日を捨ててまで、自分たちの生活を何とか良くしたいと思って働いているのであるが、辿り着く先は自分の家がある町全体が滅んでしまうのである。その事を体験して民たちは現在に辿り着いているのである。その神の怒りと災いを経験した後に、神は私たちを祝福して、神殿と城壁を再建させて下さった。また再び同じことを繰り返してはいけないというのが、ネヘミヤのメッセージ。彼の警告は民と商売する者たちに届かなかったようである。相変わらず商売する者たちが安息日に城壁内に入り込んで商売をしようとしていた。そこでネヘミヤは強硬手段に出た。彼は門衛に、安息日前から安息日が終わるまで門を閉じさせて商売する者が城壁内に入ってこないようにした。

 

終わりに

「最後の改革 ~礼拝改革その2~」について見てきた。今朝の箇所から2つの勧めをする。1つは、奉仕者は他の者たちが神を礼拝するために働く者ある。奉仕者が奉仕を捧げなければ、民は礼拝することはできなくなる。奉仕というものは任された事だけを行っておればよいというものではない。奉仕者には特権がある。奉仕をする中でしか得られない情報を得る特権。情報とは人の霊的な状態である。その得た情報をどうするのか。兄姉と共有して、神に祈るのである。神に祈りつつ、教会全体が神を礼拝する群れとなるように働いていく。それが忠実に奉仕することであり、礼拝改革である。

2つ目は、神礼拝は常に神礼拝以外のものを優先する誘惑にさらされている。悪魔は荒野で、イエスにすべての国々とその栄華とを見せて、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」(マタイ49)と誘惑してきた。同様に、悪魔は神の子どもたちにも誘惑をしかけてくる。悪魔は自分を拝む者に、この世の全ての国と栄華を与え、何不自由のない生活を与える力を持っている。安息日に仕事をしていた者たちは悪魔を礼拝する扉を開こうとしていた。悪魔からのプレゼントを受け取る者には心の満足が与えられない(平安がない)、恐れや不安に苛まれ、最後は滅んでしまう。この悪魔の誘惑に対抗するためには、『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』という生き方をする以外にない。クリスチャンである事のアイデンティティは神を礼拝し、神のみに仕えること。そのことを妨げる用事、家族、仕事を脇に置くこと。礼拝改革は神を拝し、神にのみ仕えるネヘミヤから始まっていった。安息日を守らない者には礼拝を改革する力はない。周りがどうであれ、あなたがネヘミヤとなって礼拝を改革していって欲しい。

 

2019年10月21日 (月)

2019年10月20日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「最後の改革 ~礼拝改革~」

説教テキスト:ネヘミヤ記13章1節~9

 

初めに

日本サッカーの歴史の中で最大の悲劇と言えば、ドーハの悲劇。19931028日 カタールの首都・ドーハで日本対イラクの試合が行われた。この試合は1994年アメリカワールドカップ・アジア地区の最終予選。この試合に勝てば日本はワールドカップに出場する権利を獲得するはずであった。しかし試合終了間際のロスタイムにイラクがゴールを決め同点となり、日本は予選敗退となった。結末というものは大事である。イラクは試合に勝った訳ではないが、その時大勝利を収めたかのように喜び。日本は試合に負けた訳ではないが、今まで積み上げてきた全てがおじゃんになり、選手はピッチに座り込んでしまっていた。日本代表は最大の悲劇をばねにして、ワールドカップを目指して再スタートしていく。

ネヘミヤ記の結末もあまりよいものではない。ネヘミヤ10章で民は神の律法を守ると誓約をした。誓約の内容は、自分たちの息子・娘を異邦の民と結婚させない、安息日に買い物をしない、7年ごとに土地を休め、負債のある者を免除する、神の宮のために捧げ物をすること。しかし13章を見てみると、民はその誓約の全て覆すような事を行っている。しかし聖書が言いたいことは、民の悪しき態度ではなく、あきらめずに改革を進めていくネヘミヤの姿。

 

  • 律法による改革

民は集会の中で律法を聞いていた時に、心にヒットした律法があった。それは(申命記2334)。アンモン人とモアブ人がイスラエルの民を歓迎しないで、バラムをやとって民を呪わせた記事。神はバラムの策略を全て水泡に帰し、民を祝福していることを表された。ネヘミヤと同世代の者たちは「アンモンびととモアブびとは主の会衆に加わってはならない」のみ言葉を今の自分たちに適用した。神殿礼拝にアンモン人が参加していたのだ。異邦の民がいきなり外から入ってきて神殿礼拝に参加することは考えにくい。異邦の民が城壁内の神殿の庭に入るまでには段階的に何かが起こっていたのだ。最も考えられることは、(1348)に書かれている祭司エリアシブとトビヤの縁組。トビヤはアンモン人奴隷であり、城壁再建を妨害し、ネヘミヤを暗殺しようとした者。祭司エリアシブによってトビヤの部屋が神殿の庭の場所に部屋をあてがわれていた。神の御心に従って民が築いた城壁と門衛はその役割を果たしていないことになる。それは敵の侵入を防ぐためのものだかだ。しかし敵が自由に本丸を行き来できる状態になっていた。トビヤにつらなるアンモン人たちが城壁内に侵入し、神殿礼拝に参加していた。しかし神は集会の中で民に彼らの罪を示された。民はその罪を潔く捨てた。

 

  • 総督としての地位を用いての改革

祭司エリアシブの悪行が記されている。それはネヘミヤが一時的にエルサレムを離れてペルシャに帰った時に起こった。祭司エリアシブはトビアと縁組をしたのだ。祭司の家系は祭司家系の者としか縁組ができない。それは神が彼らに神殿礼拝の奉仕をする務めを与えられたからだ。異邦人と縁組した者は神殿奉仕をすることができない。つまりエリアシブの家系は神殿礼拝奉仕を捨てたことになる。それはトビアの願ったり叶ったりの事であった。トビアの狙いは神の律法を抜きにしてエルサレムを思い通りに支配することである。住民に重税を課して私腹を肥やすのである。その甘い汁が祭司エリヤシブにも流れていくので、エリヤシブはトビアの甘言に流される行動をしていった。レビ人のために捧げられた物を管理する部屋をトビアに差し出した。捧げ物を管理する部屋がなくなったので、(131014)に書かれている事が起こってしまった。レビ人には捧げ物が捧げられないので、彼らは神殿奉仕を止めて、日々の糧を得るために野良仕事に精を出していた。また捧げ物のための部屋がなくなったことにより、民は捧げものをしなくなった。ドミノ倒しの様に次々と礼拝を行うことができなくなってしまった。礼拝を犠牲にして、その他のものを得ようとするならば、礼拝そのものが崩れ去ってしまう。祭司エリアシブの悪行は律法による解決が得られなかったので、ネヘミヤは総督の地位を用いて強硬手段で宮清めを行った。トビヤの部屋から彼の持ち物全部を出して、礼拝のための器具と捧げものを部屋に入れた。

 

終わりに

「最後の改革 ~礼拝改革~」について見てきた。1つ目の勧めは、敵対する者は礼拝共同体と共に住むことはできない。これは私たち自身と私たちの教会に当てはめて考えるべきこと。私たちは自分の心に、神に敵対するアンモン人やモアブ人を住まわせたまま礼拝者として生きることはできない。また私たちの教会に、神に敵対するアンモン人やモアブ人がいてはならない。教会は神を愛する者たちが集まる群れである。イエスは敵を愛せと言われたが、弟子を敵の状態のまま招くことはしなかった。アンモン人やモアブ人をかわいそうだからと言って、同居を許しておくと、私たちが彼らの影響を受ける。神のみ言葉によって、それらを私たちと私たちの教会から締め出していこう。

2つ目の勧めは、トビアが私たちの心の中に、教会の中心に陣取ろうと隙を伺っている。トビアは狡猾な者。いきなり教会には入っては来ない。指導者がいない時に、少しずつ教会の中心に入ってくる。何の違和感もなくそこに居座り、少しずつ神を礼拝する思いをずらしていく。最終的には神の宮を欲望の宮に作り変えていく。イスラエルの民はそのことを誰も問題としていなかった。もしネヘミヤがトビヤの部屋を強制的に清めなかったら、トビヤが神の宮を支配し、エルサレムの礼拝共同体は解体していたはずだ。そのような者が起こらない様に、皆さん一人一人がネヘミヤになって頂きたい。ネヘミヤは礼拝を妨げる悪を見抜き、礼拝改革をする。ネヘミヤは教会をバラバラにはしない。教会を1つにし、教会を建て上げていく。皆さん一人一人がネヘミヤとなって、トビアをこの教会から締め出し、教会を清める働きをして欲しい。

 

 

2019年10月19日 (土)

2019年10月13日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「何がでるかな?」

説教テキスト:ネヘミヤ記12章1節~47

 

初めに

賛美奉仕者は自分が素晴らしいことをアピールする誘惑に陥りやすいので、謙遜に奉仕をしていく必要がある。神様に用いられていた賛美奉仕者がいつのまにか表舞台から消えてしまったという話がある。初めは謙遜に用いられていた奉仕者が、表舞台で用いられるようになっていった時に、神の栄光を自分のものにしてしまったのである。心に秘めていることはいつか表面に必ず表されていくものである。城壁を完成させた民の心からはどんな事が表現されているかを見ていく。

 

  • 賛美の捧げもの

世の中では大きなプロジェクトが終わった時に慰労会を行う。しかしイスラエルの民は城壁完成後に、城壁奉献セレモニーを行った。聖書には城壁奉献セレモニーについて書かれていない。民は聖書に書かれていないことを自分たちで考え、自主的にこのセレモニーを行った。民はセレモニーを行うために、賛美の奉仕者であるレビ人を集めて、聖歌隊を編成した。聖歌隊は2組に分けられ、城壁の上を左右に分かれて、賛美をしながら行進した。城壁の上を賛美しながら周ったということは、自分たちが作り上げたものを全て神に捧げるという意思表示。その後聖歌隊は東の門から神殿前に庭に集まり、そこでいけにえを捧げた。

賛美に使われた楽器は、祭司の吹くラッパ、そしてシンバル、十弦の琴、立琴、そして聖歌隊の賛美奉仕者たち。ダビデとソロモンの時代の聖歌隊に比べると小規模なもの。

城壁は様々な奉仕者たちの奉仕によって完成した。城壁の形を設計する人、現場監督、崩れた石垣を掘り起こす人、土地を平らにする人、石を削る人、石を運ぶ人、石を組む人、警備する人、警備の勤務表を作成する人、道具や材料をそろえる人、その他に様々な奉仕者がいた。彼らは単なる労働者ではなかった。彼らは積極的に集会に参加する者、熱心に律法の朗読を聞く者、自分たちの罪を悔い改める者、神の祭りに参加して神の御業を喜ぶ礼拝者であった。そのように生きてきた彼らの心から出てきたことは、自分がどれだけ苦労したとか、他人からの称賛を受けたい、ということではなかった。自分たちが完成させたものを神に捧げ、神を賛美することであった。

 

  • 奉仕者のための捧げもの

1244)では、民が「職務についている祭司とレビ人をユダ人が見て喜び」と書かれている。民は、祭司とレビ人が神殿奉仕とそれをサポートする仕事に就いているのを見て喜んだ。彼らが神殿の奉仕をすることにより、民全体が礼拝を捧げることができた。もし彼らが神殿に関わる仕事をしなければ、公の礼拝を行うことはできなかった。民は勝手に動物の犠牲をささげることはできないからだ。さらに民は捧げ物を管理する人たちを任命した。任命したのはネヘミヤやエズラでもなく、祭司やレビ人でもない。民の代表者が自主的にその者を任命した。その目的は、「職務についている祭司とレビ人」に捧げ物を捧げ、彼らが神殿奉仕の務めを継続的に果たしていくためである。民の捧げものによって、奉仕者は奉仕に専念できるようになった。

この記事から、民が霊的に成熟している姿を知ることができる。民の霊的な目は開かれており、神を礼拝することに向けられており、神が喜ばれることを喜んでいる。さらに民は神の御心(ここでは捧げものを捧げること)を行う自主性が表されている。指導者から言われたから行っているのではない。自分たちから神を礼拝する雰囲気を拡大させている。民全体がそのような雰囲気を持っているので、民の中から神を礼拝することについての提案がなされると、民全体がその声に応答するように変えられている。

 

終わりに

城壁奉献式で民の心から出てきたものは(神への賛美)と(奉仕者に捧げる捧げもの)。彼らは喜びに溢れて捧げものを捧げた。(1243)には喜びという言葉が4回も使われている。「1243こうして、彼らはその日、数多くのいけにえをささげて喜び歌った。神が彼らを大いに喜ばせてくださったからである。女も子どもも喜び歌ったので、エルサレムの喜びの声ははるか遠くまで聞こえた。」

エズラ、ネヘミヤ、そして彼らの同労者たちは神に喜んで自分の身を捧げる献身者を生み出した。献身者は自分と自分の持ち物を喜んで捧げるのである。主日礼拝の中で賛美と捧げものを捧げることは大切である。しかしもっと大切なことは私たち自身が献身者となること。献身者は、自分の学び、仕事、子ども、家事、自分の持っている全て神に捧げていく。自分が為すこと、自分の積み上げていることは、神を賛美のする為であり、神に捧げるためである。献身者は神を礼拝するために生きる。神に捧げるとは、それを完全に神のものとする行為である。それを手放さずに、自分のものにしているならば、それは神のものにはならない手放せなかったものは結局自分のものにはならない。神のものにもならない。誰のものになるかというと、世のものになる。反対に、私たちが神に捧げれば捧げる程、神は私たちを(私たちの教会を)喜びに満たして下さる。

 

2019年10月 4日 (金)

2019 クリスマスランチョンのお知らせ

今年もクリスマスランチョンを行います。チラシには当教会の案内と姉妹教会の信愛キリスト教会の案内がなされています。音楽ゲストはゴスペルシンガーのみぎわさんです。申し込みは10月27日(日)まで。定員60名になり次第締め切らせて頂きます。

 

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2019年10月 3日 (木)

読んだ本の紹介 柴田錬三郎著『眠狂四郎無頼控(1)』(新潮文庫 昭和35年)

 父親が柴田錬三郎の時代劇が好きだと聞いたので、読んでみることにしました。漢字が多いですが、慣れると読むには苦になりません。どんな作家でもその文章に癖がありますので、慣れることが必要です。至るところに著者の教養の高さが滲み出ています。主人公の眠りの生き様はまさにタイトル通りに無頼であり、その彼に次々と事件が降りかかってきます。映画では市川雷蔵、その他の俳優が眠りを演じていますが、市川雷蔵の演技が一番ではないでしょうか。読書の際には、眠りのイメージは市川雷蔵よりももっと狂暴な存在を頭に描いています。6巻まであるので先が長いです。

 

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2019年10月 2日 (水)

読んだ本の紹介 藤沢周平著『隠し剣 秋風抄』(文春文庫 2004年)

『隠し剣 孤影抄』の続編になります。「盲目剣谺(こだま)返し」が読みごたえがありました。夫・三村新之丞は上司の毒見役を努めを果たす中で盲目となってしまいます。妻・加世は夫の身を救うためにある行動を起こしますが、それは夫婦の仲を引き裂く結果となってしまいます。加世は再び下女として家に戻ってきますが・・・。 

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第5回 読書会のお知らせ

読書会も5回目を迎えました。読書の秋です。課題図書は犬をテーマにした短編です。物語は原発で避難を余儀なくされた福島県沿岸地域に残された母親と犬の話です。感動的なストリーです。課題図書を読まなくても参加できる会です。

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