季節の木

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2019年12月24日 (火)

2019年12月22日(日)キャンドル礼拝説教概要

説教タイトル:「救い主のご降誕」

説教テキスト:ルカによる福音書2章1節~7節 

 

初めに

クリスマス・シーズンに入りました。数年前に、牧師同士が集ったクリスマス会に出席した。その時に、ある牧師が以前行われたクリスマス会で頂いたプレゼントを見せて下さった。それは私がプレゼントしたボールペンでした。その先生は私からのプレゼントを56年近く使い続けて下さっていたことを知り、うれしい気持ちになりました。クリスマス時期にはプレゼントが送られます。聖書には神が全人類に与えて下さったプレゼントが書かれています。そのプレゼントはイエス・キリスト。そのプレゼントには送り主がいますので、送り主は受け取る側の者たちがそのプレゼントを受け取っているかどうかに関心がある。今朝はそのプレゼントであるイエス・キリストご降誕を見ていきたい。

 

  • 圧政の世にお生まれになられた救い主

イエス・キリストがお生まれになられた時、ローマ帝国による人口調査が行われている最中であった。マリヤとヨセフが生まれ育ったナザレのガリラヤ地方、そしてイエスがお生まれになられたベツレヘムのユダヤ地方は、ローマ帝国が支配していた。ガリラヤ地方とユダヤ地方はローマではなく、ローマによって征服された地。ローマは征服した地の人口調査をして、課税台帳を作成し、税金を課していた。またローマの人口調査は戦闘人員登録のためであり、他国と戦争となった場合、征服地から戦闘人員を駆り出すため。この時のローマ皇帝はアウグストと呼ばれる初代皇帝オクタヴィアヌス。彼はユリウス・カイザルの養子。アウグストの称号は主。彼が亡くなった時に、部下たちは彼を神として祭り上げ、ローマが支配する地域の人たちにアウグストを神として拝むように強要した。ローマ帝国は経済力、軍事力、宗教力を盾にして支配地域を拡大していった。当時ローマに対抗できる国はおらず、ローマの前には全ての国々がひれ伏すしかなかった。イエスがお生まれになられた地域の人々はローマに全ての支配を奪われ、圧政に苦しめられていた。ローマ帝国は、征服した国々の人達を、自国を反映させるための1つの捨て駒のような存在としか見ていなかった。またユダヤ地方を治めたローマから遣わされたヘロデ王は、自分が治める地域でに他の王が生まれたことを聞き、ベツレヘム周辺の2歳以下の男の子たちを殺害した。イエスは虐げられた環境の下でお生まれになられた。

 

  • 貧しくお生まれになられた救い主

父なる神は大切な一人子である主イエス・キリストを、貧しいカップルであるマリヤとヨセフの家庭に送られた。さらにイエスは貧しい環境の中で成長されていかれた。イエスが初めに置かれた場所はベツレヘムの家畜小屋であり、家畜が食事する桶の中に寝かされた。何故そのような場所でお生まれになり、そのような所に置かれたのか。聖書には「客間には彼らのいる余地がなかったからである。」と書かれている。聖書を見てみると、ヨセフとマリヤはベツレヘムにいる時に、マリヤに陣痛が起こった事が分かる。どこかの宿屋に宿泊していた時に、陣痛が起こったならば、そこで出産できたはず。しかしそうではなく、ベツレヘムを歩いている時または休んでいる時に陣痛が起こったのだ。そこでヨセフはマリヤが出産する家や宿屋を探し周ったが、どこも自分たちを受け入れてくれるところはなかった。命の危険にさらされている人が道ばたで苦しんでいるのに、誰も彼も自分のことで精一杯で、彼らに助けの手を差し伸べなかった。だからマリヤは家畜小屋でイエスを出産したのだ。イエスのご降誕の様子は、彼の生涯を暗示している。この後、イエスはユダヤを治めるヘロデ王に殺されかけるが、マリヤとヨセフはイエスを連れてエジプトに逃げた。また多くの人達はイエスがなされた奇跡と愛の行いを見て、イエスを王様にしようとした。しかしイエスは彼らの王様になることを拒否した。彼らは自分たちの生活を豊かにするために、イエスを利用しようと考えた。しかし利用価値がないと分かると、イエスを十字架にかけて処刑した。これが人間のイエスに対する態度であり、私たちのイエスに対する態度。しかし神はイエスを3日後に蘇らせて下さった。イエスの生き方は「客間には彼らのいる余地がなかった」生き方。それは人に見捨てられた生き方。貧しい生き方。しかしそれは完全な神の支配と守りの中で生きる生き方。

 

終わりに

マリヤとヨセフの生き方は、私たちにイエスを受け取ることがどのようなものであるかを教えている。私たちはひどい環境に置かれた場合、虐げられた人となり、そこで自分が辿り着いた人生哲学で生きるようになる。それは大抵私たちを惨めにしていく。そこから自力で抜け出すことは不可能。しかしイエスを受け取るならば、神は私たちがどんなひどい環境の中でも生き生きと生きることができる。イエスが与えて下さるものは喜び、愛、平安。イエスを受け取る者は置かれた環境の中で完全な神の守りを体験する。また私たちがイエスを受け取る時、私たちはイエスのために犠牲を払うことが求められる。ベツレヘムの人達とイエスを殺した人たちは、イエスを受け入れることを拒否した人たち。反対に、マリヤとヨセフは自分の生活を犠牲にしてイエスを迎え入れた人たち。イエスのお言葉を受け取るためには、私たちは自分の持っているものを捨てる必要がある。これは一・二度離せばよいものではなく、私たちの生涯に渡ってなすべきこと。その中で私たちはイエスがどのようなお方であるのかを体験する。クリスチャンとは宗教を信じている人たちではない。蘇られたイエスを受け取り、イエスがどのようなお方なのかを体験した人たち。ヘレンケラーという3重苦の女性がいる。福島にも来られたことがある女性。彼女はサリバン先生を通してイエス・キリストを受け取りました。野獣のような彼女が本当の人間に造りかえられた。イエス・キリストによって造り変えられた彼女の言葉を紹介したい。「私は、自分の障害を神に感謝しています。 私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです。」 「幸せは、欲望の充足によって得られるのではなく、価値のある目的(イエス・キリスト)に忠実であることによって得られるのです。」これはヘレンケラーだけの告白ではない。イエス・キリストを受け取った全ての者が同意できる告白である。

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