季節の木

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2020年2月26日 (水)

スマイルクッキング 中止のお知らせ

昨年のクリスマスに行ったスマイルクッキングの第2回目を行います。親子でクッキングを楽しむプログラムです。

新型コロナウィルス対策のためにイベントを中止致します。

応募して下さった方がおりましたが、

大変残念な結果になってしまい申し訳ありませんでした。

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レク礼拝

今年はレク礼拝(ウェルカム礼拝)を月1回行っていきます。2月23日(日)は今年初めてのレク礼拝。ゲームで盛り上がり、共に賛美を捧げ、聖書の言葉に耳を傾けました。3月のレク礼拝は3月29日(日)です。

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2020年2月18日 (火)

2020年2月16日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「教会を1つにする福音 ~教会分裂問題に対する勧め~」

説教テキスト:1コリント110節~25

 

初めに

コロナウィルス関連のニュースが連日報道されている。このウィルスには特効薬がない。マスクはウィルスに感染した人が他の人に移さないためには有効であるが、感染していない人がマスクをしてもあまり効果がない。予防策としてできることは手洗いぐらい。ニュースでは日を追うごとに強調されるキーワードが更新されている。このウィルスの恐ろしいところは無症状でも感染している場合があること。それは罪という病を持った人間にも同じことが言える。罪の病に侵され重病に陥っているのにも拘わらず、本人は何ごともなかったように生きていける。パウロは今朝の箇所から3章の終わりにかけて、教会分裂問題を引き起こしている罪に対する解決策を説いている。

 

  • 福音は滅びゆく者には愚か。

彼は福音を世の中の知恵や賢さと対比しながら、兄姉に勧めている。先ずパウロはキリストの十字架を伝える際に、世の中の知恵や賢さを用いなかったと言っている。(119)にはそれらは空しいと言っている。空しい理由が(121)に書かれており、フランシスコ訳には「事実、この世は神の知恵に囲まれているのに、自らの知恵によって神を知るには至りませんでした。」と書かれている。コリントに蔓延していた知恵や賢さは、天地創造の神を知ることはできない。これは皮肉な話。神の恵みに囲まれているのに、神を知ることができない状況。何故そのようなことが起こるのか。それは、人間が神を認めようとせず、神に逆らう罪を持っているから。だ。罪は色眼鏡の役目を果たす。福音を愚かなものとしてしまう。また福音ではないものを求めさせる。ユダヤ人は自分の生活を圧迫しているローマ帝国からの解放を与えるしるし(奇跡)を求め、ギリシヤ人は神の知恵ではない知恵を求めていた。パウロとシラスがギリシャ人たちが大勢住むアテネに来て、福音を伝えた時の彼らの反応が(使徒17:32)に書かれている。ある者はあざ笑い、ある者は別の時に聞くことにしようと言っている。福音は神の力であるのにも拘わらず、罪ある人間は福音を愚かなものとする。

 

  • 福音は教会を1つにする。

コリント教会に遣わされた教師たちはパウロ、アポロ、ケパ(ペテロ)である。彼らは福音を語り、教会の兄姉たちに洗礼を授けた。しかし教会の兄姉たちは福音をしっかりと受け取らずに教師たちをアイドル視していた。彼らは教師たちの名を借りてグループを作り、派閥争いをしていた。彼らは福音のパッケージである教師たちを見て、福音の中身を受け取っていなかった。そのような状況に対して、パウロはもう一度彼らに福音の本質を語り聞かせる。彼が福音を再び語る目的は、教会を1つにするためである。福音は教会を1つにする。福音の何が教会を1つにさせるのか。それはキリストの十字架である。キリストの十字架は、救にあずかる教会の兄姉たちには神の力であり。またキリストは召された者たちには国籍に関係なく与えれ、神の力と神の知恵たるキリストであると勧めている。福音(イエスの十字架)は愚という考えは神のものではなく、罪ある人間の考えである。救い主はスーパーヒーローの活躍をするのではなく、十字架で処刑され、三日後に蘇るのである。十字架の周りにいた多くの者たちはイエスを愚か者とした。十字架にかけられた犯罪人の一人もイエスを嘲った。ギリシャ人にとってイエスの十字架は愚かなこと。神はこの宣教の愚かさによって、信じる者を救うようにされた。そのためにパウロが用いられた。彼はコリントの兄姉たちに福音を神の力として与えた。

 

終わりに

教会を1つにする福音」を見てきた。1つ目の勧めは、教会は常にどんな土台の上に立つのかが試されている。罪は神からの賜物を愚かなものとし、別なものにすりかえてしまう。それは未信者に限ったことではなく、信者にも起こること。コリントの兄姉たちは福音ではなく教師たちの上に立ち、教会を分裂させていた。教会がキリスト以外のもの(罪)に立つ時に、教会に分裂が起こる。罪は教会から離れさせる。ぜひ覚えておいて頂きたい。教会を分裂させるような事が起こった時には、分裂を起こす者が罪に立っているので、そのような事が起こっているのだと。自分の罪が福音を愚かなものとし、自分を罪と堅く結びつけているのだと。自分の罪に固執していると福音を受け入れることができなくなり、教会に留まっていることができなくなる。さらに罪は教会を破壊していく。そのような罪のためにイエスが十字架にお架かりになり蘇って下さった。そのことを覚えて、悔い改めること。

2つ目の勧めは福音を伝えること。パウロは福音を伝えるために遣わされた者。この意識は福音の土台に立つ者が持つ自覚。またパウロの宣教スピリットは、神は宣教の愚かさによって信じる者を救って下さること。この世の知恵や知識にはためになるものが多くある。しかしそれは決して天地万物を創造された神を知ることができない。もしそれで神を知ることができたならば、聖書は不要なものとなる。「この世は神の知恵に囲まれているのに、自らの知恵によって神を知るには至りませんでした。」という悲劇がこの世には起こっている。その悲劇を喜びに変えるために、私たちに福音が託されている。福音は罪に対する特効薬。福音を伝えなければ、私たちの家族、地域、国は罪で滅んでしまう。薬を取りに来てくださいではなく、薬を届ける者として生きていこう。

 

2020年2月12日 (水)

2020年2月9日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「パウロの感謝」

説教テキスト:1コリント11節~9

 

初めに

コリント教会はパウロの第二回伝道旅行によって誕生した。彼はコリントで1年半以上に渡って宣教をなした。コリントでの宣教は困難を極めた。彼はユダヤ人の迫害に遭い、コリントの地を去ろうとするが、神が彼に語りかけを与えて下さり、彼の宣教は継続されていった。その後彼はその地を去り、教会はエペソから派遣されたアポロによって導かれていった。第3回の伝道旅行の際、パウロはエペソに滞在していた時に、コリントの教会が持つ様々な問題が彼のもとに知らされた。その問題に対応して彼は手紙を教会に送った。それがコリント第一の手紙。

コリントは東西・南北の交通路の交差点であり、貿易で栄えた国際商業都市。当時の人口は約60万人。多くの外国人で活気に満ち溢れた町。商業以外にも、陶器製造、真鍮細工、建築が有名。宗教はエジプト、ギリシャ、シリアの偶像で満ちていた。倫理的な点においては特に乱れが酷かった。それは「コリントの人だ」と言えば不品行の代名詞として使用されるほど。

教会の特徴は、教会が分裂していた。性の乱れがあった。賜物が豊かで集会に秩序が失われていた。信仰生活での疑問をパウロに送った。パウロを使徒ではないと侮っている者がいた。 

今朝の箇所は、問題が山積されている教会に対する挨拶。手紙の書き出しから怒りをぶちまけたくなるように思われるが、パウロは初めに感謝を捧げている。

 

  • キリストにある言葉と知識に恵まれていること。

コリント教会に感謝することがあるのか。ある。第一番目の感謝は5節。コリント教会の兄姉がキリストにあるすべての言葉とすべての知識にも恵まれていること。言葉とは福音の言葉であり、知識とは福音の知識である。「恵まれ」という動詞は受動態で書かれており、「恵ませられている」。恵ませておられる方は神である。神はコリント教会の兄姉を、キリストの全ての言葉と全ての知識で恵んでおられた。そのために用いられた器たちがパウロ、使徒たち、教師たち。人間の成長とは体が成長すると共に、言葉と知識おいて成長することが成長である。幼児は単語でしかしゃべることができないが、成長するにつれ、文章でしゃべることができようになる。自分の周りの事と自分自身を言葉で表現できることが成長の印。キリストを知らなかったコリント教会の兄姉たちは人間の言葉(価値観)と人間の知識(コリントに蔓延している知識)で育ってきた。神を知らない状態で生きてきた。しかし福音を信じたことにより、彼らは自分と周りの世界をキリストの言葉と知識で理解していった。

 

  • キリストのための証しが確かなものとされたこと。

パウロの2つ目の感謝は、教会の兄姉の中にキリストのための証しが確かなものとされたこと。「確かなものとされた」とは「堅く根を下ろした」という意味。キリストが如何なる者であり、キリストが如何なることをなされたのかということが兄姉の中に根差した。それは聖書に啓示されているキリストに同意することであり、そのキリストが自分の人生の中で生きて働いて下さることを体験していくこと。「堅く根を下ろした」キリストは兄姉の中で静かに身を潜めてはいない。彼らの中で動き出し、彼らを成長させ、彼らをエルサレムとして外に向かっていく。まさに彼らがキリストを証しするために、彼らの中に根差すのである。

 

  • キリストの再臨を待ち望んでいること。

パウロの3つ目の感謝は、兄姉がキリストの再臨を待ち望んでいること。兄姉たちはキリストの恵みの賜物を頂いて自己満足に陥っていなかった。彼らの中に住むキリストは、彼らが再臨のキリストに出会うことを待ち望むようにさせておられた。パウロの感謝はここで終わっておらず、続いている。彼は、神が兄姉を堅く支えて、再臨の日に責められるところがない者として下さることを、感謝しているのだ。パウロの感謝は教会の現在のことだけではなく、未来になされる神のお働きを感謝している。彼の感謝は単なる期待ではない。その時の教会には責められるべき事柄が存在していた。このまま彼らが再臨の主と出会うことになるならば、主に責められることになる。主に責められる再臨も存在する。パウロはそんなことになってはいけないと思い、手紙と訪問を通して神が働いて下さり、教会が責められることのない者として主の前に立つことを期待していたのだ。

 

終わりに

「パウロの感謝」を見てきた。パウロの感謝は、神の恵みと神のお働きに基づく感謝。彼の働きも神の恵みと神のお働きに基づくもの。教会の土台は神の恵みと神の御業であり、その土台の上に自分と教会の兄姉が堅く植えられた。それがパウロの感謝を生み出している。私たちの感謝はどうであるか。今朝の聖書箇所は、教会がどのような存在であり、教会がどんな土台に立っているかが問われている箇所。神の恵みと神のお働きの上に私たちが植えられていないと、自分が頑張ったこと、感謝とは呼べないものが私たちから出てくる。コリント教会は「私の土台はパウロだ、アポロだ、ケパだ、キリストだ」と言い争っていた。(1:12) 自分の感謝を顧みて欲しい。私たちの感謝は、できたことや目に見えるものに対する感謝が多いのではないか。パウロのように、神の恵みと神のお働きに基づく感謝を捧げていこう。

2020年2月 4日 (火)

2020年2月2日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「福音が拡大していくために」

説教テキスト:使徒の働き15章36節~41節

 

初めに

穴があったら入りたい。マルコは今朝の場面でそのような気持ちになったのではないか。パウロ先生と自分のいとこのバルナバが、自分の事で大バトルを繰り広げている。自分は何も言えないで、うなだれているしかない。

 

  • 福音を伝えるための計画

第二次伝道旅行はパウロがバルナバに「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」と言ったことからスタートしている。パウロは福音を伝えるための計画を立てた。その計画は神のご計画に基づくもの。神は福音が拡大していくための計画を持っておられた。その計画は(使徒1:8)である。その大きな神のご計画の中に、使徒たち、弟子たち、パウロが加えられていた。神は(使徒1:8)の御言葉が実現するために、教会に働きかけておられた。第1次伝道旅行のきっかけはアンテオケ教会の断食礼拝。礼拝の中で、聖霊が教会に語りかけた。そこで教会は二人を伝道に遣わした。第2次伝道旅行は、第1次伝道旅行で福音を受け取った人たちをアフターケア。福音を受け取ったクリスチャンがどのような問題を抱えているのかを知り、彼らを信仰的に力づけるため。いずれの伝道も出所は神であり、神が彼らを派遣している。第一次伝道旅行を行った事で、次になすべきことが明確に示されたのである。第二次伝道旅行は第一次伝道旅行の賜物である。

 

  • 福音を伝えるためのスピリット

第2次伝道旅行を計画する中で、パウロとバルナバはマルコを連れていくかどうかで激しい議論を交わしている。パウロの勧めに対して、バルナバは開口一番,マルコを連れていくと言い出した。しかしパウロは第一次伝道から戦線離脱したマルコは連れていくことはできないと主張。

自分の信念をしっかりと持っている人は、その信念に基づいて生きており、普段は穏やかに過ごしている。しかし自分の信念が曲げられるようなことに直面すると、その人は梃でも動かなくなる。しっかりとした信念を持っていなければ、相手に流され、何でも相手の言いなりになる。そのような人は他の人との衝突は起こらない。この時、パウロとバルナバはお互いの信念を曲げなかったので、お互いの間に激しい衝突が起こった。

パウロの信念は、異邦人に福音を届けることである。福音の種を蒔く働き人は困難や迫害に耐える者でなければならず、マルコはそれに相応しくない。バルナバの信念は、マルコには指導者の素質がある。彼にもう一度チャンスを与えて、自分が彼をサポートしながら、福音を異邦人に伝えていくこと。彼らの激しい議論により、お互いの主張が明らかになり、彼らはお互いのスピリットに基づいて行動することになった。パウロはエルサレム教会のベテラン指導者であるシラスと共に、第一次伝道旅行とは違ったルートを辿り、異邦人伝道をなしていった。

バルナバはマルコと共に、バルナバの生まれ故郷のキプロス島に行き、そこで第一次伝道旅行で福音の種が蒔かれた人たちをフォローすることになった。マルコにとっては、それがベストな道であった。その理由は、パウロとシラスが辿った道のりは困難と迫害が待ち受けていたからだ。マルコがその道を進んでいったならば、再度引き返すようになって、二度と指導者としての道を歩むことができなかったかもしれない。

 

  • チームで福音を伝える

神が創造の御業をなされた時に、御父、御子、聖霊が協力して行った。また神はアダムとイブにエデンの園の管理を任せられた。同様に、神は福音を広げるために、教会に福音を委ねられた。パウロ、バルナバ、マルコというチームは第1伝道旅行に結成されたメンバーではない。それ以前に出来上がっていたチーム。(12:25)には「バルナバとサウロとは、その任務を果したのち、マルコと呼ばれていたヨハネを連れて、エルサレムから帰ってきた。」と書かれている。この時の彼らの任務は、アンテオケ教会からエルサレム教会に支援物資を運んでいくもの。この3人のメンバーが第1伝道旅行を行っていた。

パウロもバルナバもお互いに激しい議論をした後であっても、彼らは一人で伝道するのではなく、パウロはシラスと共に、バルナバとマルコとペアを組んで伝道に遣わされていった。チームを組むメリットを挙げれば枚挙に暇がない。一人は福音を語ることに専念し、もう一人はサポート役になる。一人は福音を語ることに集中し、もう一人は福音を聴いている人たちの霊的な状態に目を留めて、フォローの役割を担う。福音を伝えるために共に祈り合う。喜びを分かち合う。励まし合う。

パウロとバルナバはまさにそのようなコンビであった。パウロが父親のように福音を語り、バルナバは母親のように福音を受け入れた人たちをフォローしていった。

 

終わりに

「福音が拡大していくために」を見てきた。神が教会に与えられている使命は福音を拡大させていくこと。教会が教会として存在するためには福音を証しすること。福音を拡大させるためには、話した3つのポイントが大切。3つのポイントの中で最も大切な事はスピリット。スピリットは福音を伝える原動力。このスピリットが無ければ、計画とチームが存在しても無意味。どんなに素晴らしい計画を立てても、計画を実行する人たちがやる気ゼロであったり、やる気がない人たちを集めてチームにしても、何も良いものは生まれない。福音を伝える原動力は神を礼拝する者に注がれる。神を礼拝しないことは自分が神となって生きることであり、神を礼拝するとは神からのものを頂いて生きること。神は遜る者を聖霊で満たして下さる。また神は聖霊で満たされた者を証しするために遣わし下さる。聖霊に満たされ、福音を伝える者は信念のある者となっていく。信念のある人が人をキリストに導くことができる。

次に大切な事は、福音を伝えるための計画を立てること。人は自分の頭の中にある計画を実行に移す。計画にないことは実行しない。神は既に計画と約束を与えておられる。(使徒1:8)(ピレモン1:11) 私たちが立てる計画は神の計画に基づいたもの。ぜひ福音を伝えるための計画を立てて欲しい。教会では年間計画を立てた。その年間計画に合わせた計画を一人一人が立てて欲しい。

また年間計画で福音を伝えることができない対象者もいる。その場合には個人伝道しかない。そのための計画を立てて欲しい。個人で無理ならば指導者に依頼する計画。夫婦で伝える計画。計画のないところに実行はない。チームを作るのに難しく考える必要はない。あなたが立てた計画に、信頼できる人を誘えばチームになる。チームを作るのが先ではなく、あなたにその計画があるかが大切なこと。一歩踏み出す時に、次になすべき事が示されてくるものだ。

 

 

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