季節の木

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2020年2月12日 (水)

2020年2月9日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「パウロの感謝」

説教テキスト:1コリント11節~9

 

初めに

コリント教会はパウロの第二回伝道旅行によって誕生した。彼はコリントで1年半以上に渡って宣教をなした。コリントでの宣教は困難を極めた。彼はユダヤ人の迫害に遭い、コリントの地を去ろうとするが、神が彼に語りかけを与えて下さり、彼の宣教は継続されていった。その後彼はその地を去り、教会はエペソから派遣されたアポロによって導かれていった。第3回の伝道旅行の際、パウロはエペソに滞在していた時に、コリントの教会が持つ様々な問題が彼のもとに知らされた。その問題に対応して彼は手紙を教会に送った。それがコリント第一の手紙。

コリントは東西・南北の交通路の交差点であり、貿易で栄えた国際商業都市。当時の人口は約60万人。多くの外国人で活気に満ち溢れた町。商業以外にも、陶器製造、真鍮細工、建築が有名。宗教はエジプト、ギリシャ、シリアの偶像で満ちていた。倫理的な点においては特に乱れが酷かった。それは「コリントの人だ」と言えば不品行の代名詞として使用されるほど。

教会の特徴は、教会が分裂していた。性の乱れがあった。賜物が豊かで集会に秩序が失われていた。信仰生活での疑問をパウロに送った。パウロを使徒ではないと侮っている者がいた。 

今朝の箇所は、問題が山積されている教会に対する挨拶。手紙の書き出しから怒りをぶちまけたくなるように思われるが、パウロは初めに感謝を捧げている。

 

  • キリストにある言葉と知識に恵まれていること。

コリント教会に感謝することがあるのか。ある。第一番目の感謝は5節。コリント教会の兄姉がキリストにあるすべての言葉とすべての知識にも恵まれていること。言葉とは福音の言葉であり、知識とは福音の知識である。「恵まれ」という動詞は受動態で書かれており、「恵ませられている」。恵ませておられる方は神である。神はコリント教会の兄姉を、キリストの全ての言葉と全ての知識で恵んでおられた。そのために用いられた器たちがパウロ、使徒たち、教師たち。人間の成長とは体が成長すると共に、言葉と知識おいて成長することが成長である。幼児は単語でしかしゃべることができないが、成長するにつれ、文章でしゃべることができようになる。自分の周りの事と自分自身を言葉で表現できることが成長の印。キリストを知らなかったコリント教会の兄姉たちは人間の言葉(価値観)と人間の知識(コリントに蔓延している知識)で育ってきた。神を知らない状態で生きてきた。しかし福音を信じたことにより、彼らは自分と周りの世界をキリストの言葉と知識で理解していった。

 

  • キリストのための証しが確かなものとされたこと。

パウロの2つ目の感謝は、教会の兄姉の中にキリストのための証しが確かなものとされたこと。「確かなものとされた」とは「堅く根を下ろした」という意味。キリストが如何なる者であり、キリストが如何なることをなされたのかということが兄姉の中に根差した。それは聖書に啓示されているキリストに同意することであり、そのキリストが自分の人生の中で生きて働いて下さることを体験していくこと。「堅く根を下ろした」キリストは兄姉の中で静かに身を潜めてはいない。彼らの中で動き出し、彼らを成長させ、彼らをエルサレムとして外に向かっていく。まさに彼らがキリストを証しするために、彼らの中に根差すのである。

 

  • キリストの再臨を待ち望んでいること。

パウロの3つ目の感謝は、兄姉がキリストの再臨を待ち望んでいること。兄姉たちはキリストの恵みの賜物を頂いて自己満足に陥っていなかった。彼らの中に住むキリストは、彼らが再臨のキリストに出会うことを待ち望むようにさせておられた。パウロの感謝はここで終わっておらず、続いている。彼は、神が兄姉を堅く支えて、再臨の日に責められるところがない者として下さることを、感謝しているのだ。パウロの感謝は教会の現在のことだけではなく、未来になされる神のお働きを感謝している。彼の感謝は単なる期待ではない。その時の教会には責められるべき事柄が存在していた。このまま彼らが再臨の主と出会うことになるならば、主に責められることになる。主に責められる再臨も存在する。パウロはそんなことになってはいけないと思い、手紙と訪問を通して神が働いて下さり、教会が責められることのない者として主の前に立つことを期待していたのだ。

 

終わりに

「パウロの感謝」を見てきた。パウロの感謝は、神の恵みと神のお働きに基づく感謝。彼の働きも神の恵みと神のお働きに基づくもの。教会の土台は神の恵みと神の御業であり、その土台の上に自分と教会の兄姉が堅く植えられた。それがパウロの感謝を生み出している。私たちの感謝はどうであるか。今朝の聖書箇所は、教会がどのような存在であり、教会がどんな土台に立っているかが問われている箇所。神の恵みと神のお働きの上に私たちが植えられていないと、自分が頑張ったこと、感謝とは呼べないものが私たちから出てくる。コリント教会は「私の土台はパウロだ、アポロだ、ケパだ、キリストだ」と言い争っていた。(1:12) 自分の感謝を顧みて欲しい。私たちの感謝は、できたことや目に見えるものに対する感謝が多いのではないか。パウロのように、神の恵みと神のお働きに基づく感謝を捧げていこう。

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