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2020年2月18日 (火)

2020年2月16日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「教会を1つにする福音 ~教会分裂問題に対する勧め~」

説教テキスト:1コリント110節~25

 

初めに

コロナウィルス関連のニュースが連日報道されている。このウィルスには特効薬がない。マスクはウィルスに感染した人が他の人に移さないためには有効であるが、感染していない人がマスクをしてもあまり効果がない。予防策としてできることは手洗いぐらい。ニュースでは日を追うごとに強調されるキーワードが更新されている。このウィルスの恐ろしいところは無症状でも感染している場合があること。それは罪という病を持った人間にも同じことが言える。罪の病に侵され重病に陥っているのにも拘わらず、本人は何ごともなかったように生きていける。パウロは今朝の箇所から3章の終わりにかけて、教会分裂問題を引き起こしている罪に対する解決策を説いている。

 

  • 福音は滅びゆく者には愚か。

彼は福音を世の中の知恵や賢さと対比しながら、兄姉に勧めている。先ずパウロはキリストの十字架を伝える際に、世の中の知恵や賢さを用いなかったと言っている。(119)にはそれらは空しいと言っている。空しい理由が(121)に書かれており、フランシスコ訳には「事実、この世は神の知恵に囲まれているのに、自らの知恵によって神を知るには至りませんでした。」と書かれている。コリントに蔓延していた知恵や賢さは、天地創造の神を知ることはできない。これは皮肉な話。神の恵みに囲まれているのに、神を知ることができない状況。何故そのようなことが起こるのか。それは、人間が神を認めようとせず、神に逆らう罪を持っているから。だ。罪は色眼鏡の役目を果たす。福音を愚かなものとしてしまう。また福音ではないものを求めさせる。ユダヤ人は自分の生活を圧迫しているローマ帝国からの解放を与えるしるし(奇跡)を求め、ギリシヤ人は神の知恵ではない知恵を求めていた。パウロとシラスがギリシャ人たちが大勢住むアテネに来て、福音を伝えた時の彼らの反応が(使徒17:32)に書かれている。ある者はあざ笑い、ある者は別の時に聞くことにしようと言っている。福音は神の力であるのにも拘わらず、罪ある人間は福音を愚かなものとする。

 

  • 福音は教会を1つにする。

コリント教会に遣わされた教師たちはパウロ、アポロ、ケパ(ペテロ)である。彼らは福音を語り、教会の兄姉たちに洗礼を授けた。しかし教会の兄姉たちは福音をしっかりと受け取らずに教師たちをアイドル視していた。彼らは教師たちの名を借りてグループを作り、派閥争いをしていた。彼らは福音のパッケージである教師たちを見て、福音の中身を受け取っていなかった。そのような状況に対して、パウロはもう一度彼らに福音の本質を語り聞かせる。彼が福音を再び語る目的は、教会を1つにするためである。福音は教会を1つにする。福音の何が教会を1つにさせるのか。それはキリストの十字架である。キリストの十字架は、救にあずかる教会の兄姉たちには神の力であり。またキリストは召された者たちには国籍に関係なく与えれ、神の力と神の知恵たるキリストであると勧めている。福音(イエスの十字架)は愚という考えは神のものではなく、罪ある人間の考えである。救い主はスーパーヒーローの活躍をするのではなく、十字架で処刑され、三日後に蘇るのである。十字架の周りにいた多くの者たちはイエスを愚か者とした。十字架にかけられた犯罪人の一人もイエスを嘲った。ギリシャ人にとってイエスの十字架は愚かなこと。神はこの宣教の愚かさによって、信じる者を救うようにされた。そのためにパウロが用いられた。彼はコリントの兄姉たちに福音を神の力として与えた。

 

終わりに

教会を1つにする福音」を見てきた。1つ目の勧めは、教会は常にどんな土台の上に立つのかが試されている。罪は神からの賜物を愚かなものとし、別なものにすりかえてしまう。それは未信者に限ったことではなく、信者にも起こること。コリントの兄姉たちは福音ではなく教師たちの上に立ち、教会を分裂させていた。教会がキリスト以外のもの(罪)に立つ時に、教会に分裂が起こる。罪は教会から離れさせる。ぜひ覚えておいて頂きたい。教会を分裂させるような事が起こった時には、分裂を起こす者が罪に立っているので、そのような事が起こっているのだと。自分の罪が福音を愚かなものとし、自分を罪と堅く結びつけているのだと。自分の罪に固執していると福音を受け入れることができなくなり、教会に留まっていることができなくなる。さらに罪は教会を破壊していく。そのような罪のためにイエスが十字架にお架かりになり蘇って下さった。そのことを覚えて、悔い改めること。

2つ目の勧めは福音を伝えること。パウロは福音を伝えるために遣わされた者。この意識は福音の土台に立つ者が持つ自覚。またパウロの宣教スピリットは、神は宣教の愚かさによって信じる者を救って下さること。この世の知恵や知識にはためになるものが多くある。しかしそれは決して天地万物を創造された神を知ることができない。もしそれで神を知ることができたならば、聖書は不要なものとなる。「この世は神の知恵に囲まれているのに、自らの知恵によって神を知るには至りませんでした。」という悲劇がこの世には起こっている。その悲劇を喜びに変えるために、私たちに福音が託されている。福音は罪に対する特効薬。福音を伝えなければ、私たちの家族、地域、国は罪で滅んでしまう。薬を取りに来てくださいではなく、薬を届ける者として生きていこう。

 

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