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2020年4月18日 (土)

2020年4月19日(日)主日礼拝説教概要

説教タイトル:「あなた方は教会 ~教会分裂問題に対する勧め~」

説教テキスト:1コリント310節~23

 

初めに

弘前城の本丸石垣の解体修理で、弘前城を支える土台の部分が露わになった。土台の四隅にはイカのような形をした隅石が置かれていることが分かった。また土台の石には小さくへこんだ箇所があり、それは隣の石のへこみとあわせると蝶の形になる。そのへこんだ箇所に蝶の形をした石がはめ込んであり、地震が起こっても、土台の石が動かないように固定されてあった。そのような土台は全国でも珍しいものである。今朝の箇所でパウロは教会を建物に譬えており、壊れたコリント教会の修理をしている。今朝は「あなた方は教会」というタイトルでみ言葉を見ていく。

 

  • 教会はキリストを土台とした家

パウロはコリントに教会を生み出したことを、家を建てることに譬えている。彼がなした働きは熟練した建築士として家の土台を据えたこと。土台は人目につく場所ではないが、家の中の最も重要な部分である。家が安定した建物になるかどうかは土台にかかっている。教会の土台はイエス・キリストであり、パウロは十字架に架けられたキリストを彼らに伝えた。

家は土台だけでは完成したことにならない。土台の上に材料を組み合わせていく。(312)にはその材料が書かれている。「金、銀、宝石、木、草、わら」。初めの3つの「金、銀、宝石」はキリストに相応しい材料であるが、後の3つである「木、草、わら」は3匹の子豚の話同様にキリストに相応しくない材料。パウロは家の土台を据えただけで、その後の家の建築はアポロとケパ(ペテロ)は神の材料である「金、銀、宝石」を用いて建てていった。

パウロは建てられた家の耐久性を語っている。木造の家の耐久性は20年前後。しかしキリストを土台とした家の耐久性はどのくらい。パウロは家の耐久性がかの日に試されると言っている。かの日とは(17)「わたしたちの主イエス・キリストの日」であり再臨の時である。再臨の日に家が残るか燃えるかによって、家の耐久性は試され、家が残るならば家を建てた者は神から報酬を受ける。キリストを土台とした教会にとって、今を生きている現在と未来に起こる再臨は密接に結ばれている。パウロと彼の同労者は、再臨の時に残る家を建築していった。

 

  • 教会は神の宮 

パウロは、教会は神の宮であると言っている。生まれながらの人間を神の宮をさせるものは神の御霊である。神の御霊を持たない者(イエスを信じていない者)は、どんなにがんばっても神が望まれる礼拝をすることはできない。自分の欲望を満足させるような神々を礼拝するものになってしまう。コリント教会の兄姉たちはイエス・キリストを自分の罪からの救い主と信じ、神から御霊を与えられた神殿であった。神殿の役目は父なる神と主イエスを礼拝することである。

しかしコリント教会の神の宮から発せられていたことは(礼拝での賛美は)、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」というもの。パウロは「もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。」と言っている。ここでパウロが言っている神殿破壊は迫害ではなく、教会の内部の分裂のことである。教会のメンバーが指導者を担ぎ上げて派閥争いをしていることが神の宮を破壊する行為。神の宮を破壊するような者は、神の裁きに会うことを警告している。

 

  • 教会はキリストと神のもの

最後に、パウロは、教会はキリストと神のものであると言っている。教会とはコリント教会の兄姉たちそのものである。コリント教会の中に兄姉だけではなく、使徒たちであるパウロ、アポロも、ペテロ(ケパ)も含めて存在している。またその枠の中には、世界、生、死、現在と未来という万物が含まれている。キリストが万物の主であるので、世の終わりに教会はキリスト共に万物を支配するのである。だからパウロは、万物はコリント教会のものであると言っている。

神がキリストを通して与えられた教会には大きな1つの枠があるだけである。その枠の中にパウロ教団、アポロ教団、ペテロ教団のような国境や排他的経済水域は存在しない。しかしコリント教会は指導者を担ぎ上げて、1つ枠の中に、さらに別な枠を作って小競り合いをしていた。そのような考えはこの世の知恵であり、神の前では愚かな(馬鹿な)ものである。パウロは旧約聖書を引用し、それは悪知恵であり、むなしいものであると言っている。

何故コリント教会はそのような状況に陥ってしまったのか、それはイエス・キリストを十分に受け取ることができていなかったから。もし神からのものを受け取ることができたならば、教会には所属意識が生じた。自分たちは神のもの、キリストのものであるという意識(信仰)である。しかし彼らには所属意識が薄かったので、教会とは別なグループが生み出された。パウロはそのような彼らに「あなたがたはキリストのもの」であると宣言している。

 

終わりに

・「あなた方は教会 ~教会分裂問題に対する勧め~」について見てきた。今朝の御言葉から2つ勧めをしたい。1つは、私たちは教会であること。神は私たちがイエスを信じた時から、私たちを教会として造り変えて下さった。それはキリストを土台とした家に造り変え、神の宮に造り変えて下さった。だから私たちは教会として成長できるし、神を礼拝できる。私たちを教会にして下さったのはイエスである。それは私たちの努力ではなく神の恵み。未だクリスチャンになっていない方に、勧めたいことは、教会に通い、礼拝に出席していれば、自然に教会になっていくのではない。イエスを信じ、洗礼を受けることにより、イエスの教会に造り変えられる。また教会はキリストを土台とした建物であるので強い存在である。(少しの困難や問題で崩れない存在) 教会は神の宮であり、目立つ存在である。(教会は掘っ建て小屋ではない。礼拝する者としてそびえたつ存在)さらに教会はキリストのものとされた者であり、愛されている者存在である。(孤独で惨めな存在ではない。) 

2つ目は、教会の所属意識について。何故自分はこの教会に所属しているのかという理由を自分に問いかけてみて欲しい。最も大切な意識は、自分はキリストのものであるという意識。その意識がないならば、教会内部に教会とは別なグループが存在するようになっていく。内部分裂が起こり教会は破壊されていく。教会を1つとするものはキリスト。家族を1つにするものはキリスト。民族や国を超えて私たちを1つにするものはキリスト以外にない。キリストを持たないコミニテイには争いと分裂が生まれる。人間の問題の根源はイエスを信じていないこと、イエスのものになっていないこと。イエスのものになっていないと、私たちは誰かのものになろうとしてさまよう。あなたは仕事や会社のもの(奴隷)になっていませんか。あなたは勉強のもの(奴隷)になっていませんか。またあなたは身近な人のもの(奴隷)になろうとしていませんか。またあなたは身近な人を自分の所有物(奴隷)であるかのように扱っていませんか。私たちはキリストのものだ。

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